Ex-Berliner

日記とかドイツ史とか

『失われた時を求めて』の完読を求めて

はじめに

プルースト失われた時を求めて』を読んでいます。(まだ読み終えてはいません。)

義務感で読み始めたはずが結構面白く(古典名作を読んだ時にありがち)、読書のきっかけや感想、自分なりにまとめた作品概要をブログで書いてみたくなりました。

以下、文学に全然詳しくないオタクのプルースト布教記事みたいな感じです。

 

きっかけ

まず、読み始めたのがいつか正確には覚えていないんですが、岩波文庫版の第1巻「スワン家のほうへ」を購入したのは2021年4月18日でした。(ツイッターアカウントを削除したためツイログで人生を辿ることができなくなり迷宮入りかと思われましたが、hontoの購入履歴を確認したところ判明)

 

 

ウィーンでミュージカル『エリザベート』を観て以来、世紀転換期のオタクとなった自分ですが、その時代を象徴する大作たる『失われた時を求めて』には長らく手を出せていませんでした。率直に、文庫版全14巻という長さにビビっておりました。

しかし、ふと『失われた時を求めて』を読まずに人生を終えるのは嫌だ……という焦りに襲われ、大阪梅田のジュンク堂岩波文庫版の1巻を購入。

(早速脱線しますが、東京に引っ越して1年と半年ほど経った今、広々とした梅田のジュンク堂がめちゃくちゃ恋しいです。池袋のジュンク堂にもいつもお世話になっているんですが、あの狭苦しい感じがちょっと居づらくて……居づらくない……?)

そして2023年10月現在、第7巻を読み終わり、先日神保町の三省堂書店(仮店舗)で8巻を買ってきたところです。

改めて数えると、2年と半年かけて7冊か……。途中で他の本を読んだり、同人誌を描くために読書がストップしたりで遅々とした進みなのですが、多分ガチでプルーストだけに集中して読み続ければ、読書好きな人なら1か月ぐらいで全部読めるのではないでしょうか。岩波文庫版1巻の訳者後書きで「1冊2日のペースで読めば1か月で読破は可能。完読の難しい作品ではない。(要約)」と書かれていて笑いました。

 

失われた時を求めて』をどの翻訳で読むか?というのが、難解な本編に触れる前から私を悩ませた問題でした。

www.bluesoyaji.com

 

こちらのような、文体を比較しているブログ記事を読んでみたり……。

最終的に文体云々というより、一番新しい翻訳で(2011年から刊行が始まって2019年に完結)、図版が豊富で、細かい解説のある岩波文庫版を選びました。

プルーストがネチネチネチネチと19世紀末の情景や風俗、当時のフランス人なら知ってる作品等を描き出すのに対して、岩波版が執念深く注を付けているのには本当に感服します。見開きの半分が全部解説になってる時がたまにある。注が巻末じゃなくて本文内のページ端にあるのも作品への没入を妨げなくて助かります。

それに『失われた時を求めて』は実在の芸術作品を引き合いに出すことが多いので、作品内で言及があったほぼ全ての作品を掲載している岩波版は読んでて楽しいです。

というかこれがなかったら多分私はここまで『失われた時を求めて』を読み進められてないと思います。リアリスティックな小説の記述に対して具体的なイメージを浮かべられないのって厳しいよね……

 

 

読み始めの印象

率直に1巻の冒頭、主人公の心理描写を読み進めるのがつれえ~~~~~!!!!!となりました。子供時代に自分が感じた、母親がそばにいてくれない寂しさを延々と主人公が回想する場面なのですが、なんか読みづらかった。自分だけが先に寝て大人だけまだ居間でテレビ見てるあの感覚ね、みたいな皮相な理解をしていた。

とりあえず、マドレーヌを紅茶に浸して記憶が蘇るところまで読もう……。(プルーストに安直に手を出したオタクが全員考えてそうな基準)と思い、なんとか頑張りました。

というか、逆に、今のところこの冒頭部分以外でそんなに読みづらいと思った箇所がないです。自分がプルーストの文章に慣れたからなのか、コンブレーの田園の描写に心躍らなかったのか、メイン登場人物が複数出てくる前の助走段階だからなのか……。

1巻だけ読んで、もうええわ……となった人がいるなら、2巻からめちゃくちゃ読みやすくなるから2巻の「スワンの恋」だけでも読んでくださいと言いたい。

 

しかし1巻の後半で既に同性愛に対する言及があったり(ヴァントゥイユ嬢と女友達)、長大だけれども作品のテーマはずっと一貫しているのですよね。

でも私側の記憶力が悪いので2巻で出てくるヴァントゥイユのソナタの話を読んでいる時はヴァントゥイユの娘のくだりとかすっかり忘れていました……

失われた時を求めて』を諦めずに読むコツは、登場人物を忘れて再登場時に「誰?」となっても気にしないことですね(全員を記憶したまま読むのは常人には普通に無理だと思います やっぱりビジュアルがあるって大事だな アイドルマスターシンデレラガールズのキャラは190人覚えられるもんね)

 

 

2巻に突入

話の内容がスワン(ユダヤ系のブルジョワだが、社交界の寵児で王族とも親交がある)の恋愛話になり、文体はともかく、描かれる事象自体が急に俗っぽくなるので1巻よりだいぶ読みやすかった。

この2巻の「スワンの恋」部分だけを抜粋して映画化もされているらしいです。

今確認したらシャルリュス役がアラン・ドロンでビビりました。

 

この巻から、「19世紀末の貴族やブルジョワたちの人間観察」の軸と「主人公の芸術・人間理解」の軸が交互に出てきて話が進むよ~という構成が見えてきたのも読みやすくなった一因かもしれない。

大体で言うと2巻はスワン回、3巻はノルポワ(老獪な外交官)紹介/主人公の幼い恋の話、4巻は水着回(水着は出てこないが海辺の避暑地での話なのでイデアとしてはアニメの水着回)、5巻はサン・ルー(主人公の親友)回、6巻はドレフュス事件/祖母の死、7巻はゲルマント公爵夫人回なんですが、『失われた時を求めて』は話の進行と話の舞台(場所)の変更が連動してるのもありがたいですね。舞台がずっとコンブレーとかパリだったらもっと読みづらかったと思う。

しかし自分でも読みながら不思議なのですが、なんで一人称小説で一人称の人物がいない場面をこんなスラスラ書けるんだろう???

そんな感じで「スワンの惚れた腫れたの話結構面白いな……サロンでの滑稽な人間模様って鉄板だよな~」と思いつつ3巻に進む。

 

私が最初に出会うのはひとりの従僕だけで、そのあとについて大きなサロンをいくつも横切って通されたごく小さなだれもいないサロンは、窓という窓から見える午後の青い空に早くも夢心地である。ひとり取り残された私のお供をしてくれるのはランやバラやスミレだけとなり、それらの花が──たまたま隣り合わせた面識のない相客みたいに──じっと押し黙っているさまは、生きものとしての個性があるだけになおのこと印象深く、寒そうに身をちぢめて赤々と燃える石炭の火の熱を受けている。

(第3巻221ページ)

 

もう、ここらへんになるとプルーストの叙述が大好きになってきている。大好きなので引用しました。この比喩めちゃくちゃ良くないですか?主人公(少年時代)が好きな女の子(スワンの娘)の家にお邪魔したときの様子なんですが。3巻目ぐらいから文章そのもの、特に比喩表現に心地よさを感じるようになりました。

かつそれまでは感じなかった作品世界への没入感が急に芽生えてきました。帰宅して、『失われた時を求めて』を開くと、私は現代日本のしがない会社員ではなく、19世紀末のフランス貴族社会を覗く、パリにいる「何か」になっている……。こういう感覚がありました。

それ以降は、たまに訳文の意味を取りづらい箇所はあるものの、めちゃくちゃ楽しくプルーストを読んでいます。『失われた時を求めて』を読み終えたら似たような世紀転換期長編小説がまた読みたいです……ベルリンが舞台でそういうタイプの作品ないですかね?

 

 

7巻までを読み終えて

私の趣味嗜好を知っておられて『失われた時を求めて』を読んだことのある方なら、もう言う前からわかっとったわってなると思うんですが、登場人物の中ではシャルリュス男爵が一番好きです。

モンテスキュー伯爵の肖像画(パブリックドメイン)

失われた時を求めて』を読む前からこのモンテスキュー伯爵の肖像画が大好きで、スマートフォンに保存して眺めていたのですが、シャルリュスのモデルがこの人と知って自分の趣向のまっすぐさに誇りが芽生えた。

未読の方に説明しておくとシャルリュスは芸術を愛し、急にサディスティックになったりマゾヒスティックになったりする世紀転換期の権威的なゲイの男性貴族です。君オイレンブルクとヴィルヘルム2世を足して割ったようなキャラしてるね……(実際プルーストオイレンブルク事件から強く影響を受けてこの作品を書いてるで100%オタクのこじつけでもないと思う)

ちなみにですが7巻で登場人物がヴィルヘルム2世に言及するシーンがあり、その台詞の中で「緑色のカーネーション」という比喩が出てきているのは、明らかにオスカー・ワイルドがそれを同性愛者の象徴として使ったことを踏まえての言葉選びだと思うので驚きました。

 

(追記:まだ読めてませんが、9巻以降さらにオイレンブルク事件に対する言及が出てくるそうです)

 

あと個人的にフォン大公(作中に出てくるドイツ首相)のモデルはビューローなんじゃないかと思っています。(容姿の描写は特にありませんが、調子のいい性格とか、そのあたりがなんとなく。でもフォン大公はフランス語が完璧ではないっていう設定なんですよね)

 

続く8巻は章タイトルが「ソドムとゴモラ」になっているのからもわかるように、同性愛というテーマにぐっと近づいた話になっているみたいです。(なるべくネタバレを見ないようにしているのでこんな言い方になる)(でも今wikipedia開いて事実誤認がないように確認していたら、重要な登場人物の生死に関するネタバレを見てしまいました!!!!!)

失われた時を求めて』以外にも読みたい本が山ほどあるしまた漫画も描きたいので、読み終えるのは来年か再来年になりそうですが……。完読できたらブログでまた感想を書きたいと思います。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

 

余談

オタクが『失われた時を求めて』の読書記録をブログで書くとしたら、この記事タイトルしかないやろ!と思って今回の記事名を決めたのですが、かの鹿島茂先生が全く同名の本を出されているのですね………。

上記の本を求めて検索された方がこのブログに辿り着いていたら申し訳ありません。

こういう解説本にも関心はあるのですが(特に岩波文庫版訳者の吉川先生が出された新書等)、この作品については無知なままで読み進めたいという気持ちがあり(岩波版の注がめちゃくちゃ充実しているおかげで予備知識がなくてもどんどん読めるともいう)、本編を読み終えてから手に取ろうかなと思っています。