大学時代の友人が、ワーキング・ホリデーや留学経験者の実体験をまとめた
ブログサイトを立ち上げたそうです。
私もベルリンでのワーキングホリデー経験者ということで、
既に一記事寄稿させていただいております。
私がワーホリしていたのは5年前ということで、
当時と今では情勢もかなり変わってしまっているのですが、
その辺りはネットで区役所のサイトとか確認しつつ
出来うる限り齟齬のないように書いているので、
ご覧いただけたら嬉しいです。
大学時代の友人が、ワーキング・ホリデーや留学経験者の実体験をまとめた
ブログサイトを立ち上げたそうです。
私もベルリンでのワーキングホリデー経験者ということで、
既に一記事寄稿させていただいております。
私がワーホリしていたのは5年前ということで、
当時と今では情勢もかなり変わってしまっているのですが、
その辺りはネットで区役所のサイトとか確認しつつ
出来うる限り齟齬のないように書いているので、
ご覧いただけたら嬉しいです。
先日、お盆休みを利用してボスニアとドイツへ旅行してきました。
この機会に、折から気になっていたオイレンブルク事件の裁判記録を
閲覧できないだろうか?と思い、
その史料が保存されている
Geheimes Staatsarchiv Preussischer Kulturbesitz(プロイセン枢密公文書館)
Geheimes Staatsarchiv Preußischer Kulturbesitz | Startseite
に行ってまいりました。
私自身は研究者でもなんでもなく、
まして院も修了していないただの学部卒(史学科ですらない)のオタクなので
「本当に海外の公文書館を利用できるんだろうか……」と
半信半疑でしたが、
結論から言うと目当ての史料を閲覧し、複写もしてこれました。
以下、当日までのプロセスと当日の動向を書いておきたいと思います。
上のページで、日本からでも史料の予約ができます。
訪問日と滞在期間を入れる項目があって、
同時に史料閲覧室の席予約もできる仕様です。
研究テーマは私の場合とりあえず
「皇帝ヴィルヘルム2世の親政、特にオイレンブルク侯爵との関係について」
みたいな感じで書きました。
見たい史料の番号もDomeierの”Der Eulenburg-Skandal”のおかげで
具体的にわかっていたので、それを書いて送信。
Der Eulenburg-Skandal: Eine politische Kulturgeschichte des Kaiserreichs
ネットで史料請求してから閲覧の予定日まで、
最低2週間の猶予が必要なので、
旅行にあわせて文書館に行こう!という方は
お早めに請求されるのが吉ですね。
予約のフォームから要項を送信したのが7月30日、
予約確定の返信が来たのが8月2日でした。
こんな感じのPDFで返事が来ます。
公文書館までのアクセス方法まで書いてくれてすごく親切。
私の場合、
始めからどの史料が閲覧したいか番号まではっきりしていたので
フォームから申請→それに対しての返信、という
単純なやり取りで済みましたが、
そこまで判ってない場合は職員さんとメールで色々やり取りしないと
いけないんじゃないかな?と思います。
宿をハッケシャーマルクト近くに取っていたので
SバーンでHackerscher MarktからZoologischer Gartenへ、
そこからU9に乗り換えて、さらにSpichernstr.駅でU3に乗り換え。
しばらく走ってDahlem-Dorf駅に到着しました。
駅を出て通りを一直線に進むと右手に公文書館があります。
たのも~!
インターホンを鳴らすと扉を開けてくれる仕様ですので、
Pforte(守衛)と書かれた方のボタンを押します。
(私は最初間違えてVerwaltungと書かれたほうを押して、
反応がなかったので焦りました。)
守衛さんがロッカーの鍵を渡してくれますので、
守衛室奥のロッカールームに入って荷物を預けます。
貴重品、身分証明書、筆記具あたりを手にもって、いざ尋常に史料閲覧。
「受付」というコーナーが見当たらなかったので
しばらく彷徨ってしまったのですが、
受付は階段上がってド真ん中にあるForschungssaalの扉を開けて、
その左手奥のカウンターです。
(今公式サイトよくよく読んだらちゃんと書いてあった)
ネットで閲覧予約した旨を伝えると、
1枚の申請書を埋めるように渡されました。
既に史料閲覧中の皆さんの机にまじって緊張しつつ書類に記入。
(最初遠慮してカウンターの隅っこで書こうとしてたら
あっちに座って書いていいよと言われた)
項目は住所、研究テーマ、今までに論文を発表したことがあるか、
とかそんな感じ。
そこらへんはスッと埋められたのですが、
「この課題を与えた人」みたいな項目があって、
こんなもんただのオタクは書けないじゃん……(絶望)と思って
空欄のまま提出したのですが、特に何も言われなかったです。
その提出が終わると、こういう利用者カードが貰えます。
わーい!
私の見たい史料はマイクロフィルムの形態だったので、
マイクロフィルム閲覧用の部屋であるForschungssaal IIに
受付の職員さんが案内してくださいました。
その部屋で私があらかじめ予約しておいたフィルムを受け取り……
ついに閲覧!
20世紀初頭だし公的な記録だから全部活字だろうと高をくくっていたら
わりと手書きの部分が多く、
よ、読めない……ということもありましたが、
読める部分を夢中で閲覧・出力していたら
いつの間にかお昼の12時を過ぎていました。
複写(表示された画面をその場でプリンターで出力)に関しては、
特に追加での申請書は要求されなかったです。
プリンターの電源を入れて、紙をセットして、
普通のマイクロフィルムリーダーの作法に乗っ取ってボタン押すだけ。
ただ、出力できるのはA4サイズだけでした。
言えばA3の紙も用意してもらえたのかもしれない。
フィルムを返却して、1階にあるKasseで複写料金(A41枚30セント)を
支払おうとしたところ……
Kasseは12時から13時までお昼休憩!(その時点で12:15だった)
仕方ないので2階の階段上がってすぐ右手前にある待合室で過ごすことに。
小さな部屋ですが、テーブルが3つほど置いてあって、
飲み物と軽いスナック・お菓子の自動販売機もあります。
その中だけは飲食OKなので、
サンドイッチ持ち込んで食べてる人もいました。
ペットボトルのアプフェルショーレを買って開けたら
中身が噴出すなどのアクシデントもありつつ、
(ドイツの自動販売機、結構高い位置から
ペットボトルを落とす構造になってません?)
よくわからないサラミのスナックを食べて小腹を満たす。
そうこうしている間に13時になったので、再びKasseの部屋へ。
なんだか公文書館の職員らしからぬ軽いノリのお兄さん
(とその横で一緒に喋っているお姉さん)に
43枚分の複写料金の支払いをお願いしました。
あんまりこんな風に複写する人はいないのか、
「すごく多いね~」という感じで一枚一枚数えて、
領収書も作ってくださいました。
最後にロッカーの荷物を取りに行き、
鍵を守衛さんに返して終わりです。
総じて言えることなのですが、
本当に皆さん親切です。
普通こんな公文書館に来る人なんて、大体マイクロフィルムの扱いに慣れた
研究者の方ばかりだと思うのですが
「フィルムの使い方はわかりますか?」と聞いてくださったり……。
(私はさすがに異国で初めてMFを使うのは怖かったので、
大阪市立図書館で練習していきました)
それに加えて、私はドイツ語がそんなに話せないのですが、
すぐに英語に切り替えるでもなく、
あくまでドイツ語で丁寧に対応してくださったのがすごく嬉しかったです。
今回、アーカイブ訪問に当たって
参考にさせていただいたのが以下2つの記事です。
妹尾哲志先生による「ドイツ外務省政治史料館の紹介」
History of Eutopean Integration-史料館案内
川嶋周一先生による「ドイツ外務省史料館利用感想」
ドイツ外務省史料館の紹介ですが、
ドイツのいずれかのアーカイブを初めて訪問予定だ、という方は、
読むことで不安を軽減できると思います。
また、今回の訪問にあたり、ツイッターで
ビスマルク研究者である飯田洋介先生から
(飯田先生の新書『ビスマルク』 は
初学者にも先行研究をわかりやすく整理し、
ビスマルクの業績を改めて解説してくれる
素晴らしい本なのでここでオススメさせてください)
研究者の方は当然知っているし、院生の方はしかるべき指導者の方から
アーカイブの使い方については教えてもらうんじゃないかと思うので、
素人の私がこんな記事を書いてどうなる……とも思うのですが、
もしドイツ語がちょっとできて、どうしても必要な史料があって、
訪独する機会を得た!という歴史ファンの力になれたら、
これ以上の喜びはありません。
以上、Geheimes Staatsarchiv PKの利用レポートでした。
1人で海外旅行(主にドイツ)をするときの手順をまとめたいと思います。
今回の記事では、治安に対する心構えや旅で使えるドイツ語とかではなく
「ネットを使ったチケットの取り方」のような、
旅の始まりの実質的なところを実体験に基づいて書いてみます。
私はいつも旅行代理店は使わず、ネットで航空券やホテルを押さえています。
ツアーだとなかなか自分の行きたいとこに行きづらいですからね……
自分の場合だと
「ベルリン観光をしよう。大阪(関西国際空港)からベルリンへ向かおう。
日程はGW休みを使って4月29日から5月5日まで。」
でした。
列車で足を伸ばすこともできますが、
そこまでの細かい旅程を決めるのは後に回します。
私はいつも航空券を検索するとき、まずエクスペディアを使っています。
出発する空港・到着する空港、その他出発の時間帯を選んで検索。
2都市以上を周遊したい場合の設定もできます。
日本を夜に発つ飛行機だと、朝にドイツに到着できて嬉しいですね
(社会人で長い休みが取れない場合は特に)
トルコ航空やエミレーツなんかの中東系航空会社は夜発朝着ですね。
日本からベルリンに行く場合だと
ベルリンのテーゲル空港を利用することになると思いますが、
テーゲルへの日本からの直行便はありません……。
でも同じ航空会社の便を乗り継ぐ場合は
チェックインも日本での出発時にするだけで済みますし、
荷物も最終目的地まで自動的に行ってくれるので、
そんな不便なことはないと思います。
エクスペディアで気に入った航空券を発見して購入する場合は
そのままページを進めて、
必要事項(パスポートの情報や支払いのクレジットカード情報)を
入力して終わりです!
メールで購入確認・日程が送られてきます。
あとは空港に行ってパスポート見せたらチェックインできます!
念のために送られてきたメールを印刷して持っていくのがいいですね。
エクスペディアを仲介してチケット買うのが不安だという方は
航空会社の公式サイトで買うのもいいです。
(ただし日本語ページがない航空会社もあり)
上記二つは例として挙げただけで、
ベルリンへ向かうには他にもフィンエアーやKLMなど
様々な国の航空会社が利用できます。
エクスペディアで航空券を購入すると、
メールで「予約ID」というのが送られてきます。
航空会社のHPの「予約管理」みたいな感じのページで
このIDと自分の姓名を入力すると、
自分のフライトの詳細を変更・指定することができます。
(日付とか搭乗者名とか、そういう重大なものは変更できません。
座席位置とか席のアップグレードとかをいじくれます)
私は座席を絶対に通路側にしたいので、
チェックインより前に、ネットであらかじめ指定しています。
特にオプションの要らない場合は別にいらない作業なんですが、
エクスペディアだけ見てるより公式サイトでちゃんとチケット取れてるか
見れたほうが個人的には安心するので、
私はいつも航空会社のサイトで予約管理のページをチェックしています。
上述したエクスペディアでもホテルの予約はできるんですが、
私はよくホテルズドットコムを使っています。
似たようなホテル予約サイトとしてはbooking.comも。
特に差はないと思うんですが、
Hotels.comは予約と同時にクレジットカードに請求というパターンが多くて
booking.comは現地支払いになるパターンが多いような?
ホテルにもよると思います。
あんまり安いホテルを選ぶとそのぶんトラブルに遭遇する率も高くなると思うので、
私は宿泊に関しては出し惜しみしないよう心がけています……
あと、大きいトランクを引きずっていくことになるので、
駅から近いホテルがいいですね。
上で挙げたサイトだとマップ上での検索もできるので便利!
ある意味これが一番重要な工程です。
万が一保険に入らずに現地の病院で治療を受けることになった場合、
ドエラい金額の請求が来ます。
海外旅行保険で検索するといろいろ出てくるので、
条件・金額等々見比べてみてください。
私は以前tabihoというところを使いましたが、
ネットで契約完了・書類の送付などもなく、楽ちんでした。
現地で保険が必要になった経験がないので、
対応の親切さとかは全然お伝えできなくて申し訳ない……
ここまで決めたら、もう8割くらい旅行の準備は終わったような感じです。
あとはベルリンに5日いる間にドレスデンまで行きたいな、と思ったら
ICE(ドイツの新幹線みたいな列車)のチケットを押さえたり、
ミュージカルが見たければ公演のチケットを押さえたり。
以下その手法を書いていきます、
ドイツ鉄道(Deutsche Bahn)の公式サイトで、
チケットを購入できます。
(メールで送られてきたPDFを印刷すれば、
それがチケットになります。それで乗車可能。)
残念ながら日本語に切り替えることはできませんが、英語には対応しています。
出発地・目的地、時間、二等車or一等車などを選択して検索。
Bahncardは割引のためのカードですが、持ってなければ関係ないので
No Bahn cardでOK。
注・ドイツの列車は平気で1時間くらいの遅延を起こします。
日本の新幹線の感覚でいると
イベントに間に合わなかったり惨事になる可能性があるので
余裕を持った出発時間にしたほうが安心です。
例:ベルリンからドレスデンへの日帰り旅行を想定
おっ、ECでベルリン中央駅からドレスデン中央駅まで直行してくれるのがありますね。
行きはこれでOKなら、Return journeyをクリックして復路の選択に進みましょう。
復路を選択し終えると、次にこんな画面が出てきます。
「変更が効かないけど格安なチケット」を提示してくれるんですね。
そこらへんは各々のこだわりで選べばOKです!
次の画面。(Bahncardを買うか?みたいなページが出てきますが拒否できます)
「オンラインチケット」を選べば自宅でチケットを印刷していけます。
あと追加料金はかかりますが、指定席の予約も同時にしておいたほうが安心ですね。
さらに進むと「追加料金で環境保護ができます」みたいなページも出てきますが、
チェック入れずにスルーして問題ありません。
個人情報やクレジットカードの入力をして、最後まで進めば購入完了!
乗車時には、印刷したチケットと一緒に身分証明書も必要になります。
旅行中なら絶対パスポート身に付けてるだろうし問題ないですね。
博物館なら、公式サイトのAnfahrt(=アクセス)というページを開けば、
だいたい地図や最寄り駅が載っています。
google Mapに施設名を打ち込んで検索するのもいいですね。
ヨーロッパの博物館・お城は月曜休館なことが多いです。
その他不定期な休みや工事があるので、
現地に着いてがっかりしないよう調べておきましょう!
(参考になるかもしれないドイツ語
Öffnungszeiten:営業時間
geschlossen:閉まっている
Ruhetag:休み
Montag:月曜日、Dienstag:火曜日、Mittwoch:水曜日、
Donnerstag:木曜日、Freitag:金曜日、Samstag:土曜日、Sonntag:日曜日)
まず航空券とホテルを押さえる、
次に詳細な旅程を考える、それに合わせて長距離列車のチケットを買う、
さらに個々の目的地(博物館やお芝居や史跡や…)を考えて調べる……
そこまで決めれば、1人でもしっかりとドイツを巡れると思います。
後は適当に行ってみたいカフェとかレストランとかの位置を調べておくと
いいかもしれません。
ドイツ一人旅はこわくない!
ツアーじゃなくても大丈夫!
そういう気持ちでこの記事を書きました。
少しでも参考になれば幸いです。
前回の記事で亡命中のカイザーの動向について書きましたので、
それに関連して今回はもっと気楽な記事を書いてみたいと思います。
今回書くのは「ヴィルヘルム2世最後の地・ドールン観光レポ」です。
なるべく正確な情報を記すよう心がけていますが、
筆者のヨーロッパ旅行(2014年夏)での体験をもとにしているので
最新の情報は各自ご確認いただけると幸いです。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は1918年11月、
最高司令部の置かれていたベルギー・スパからオランダへと亡命しました。
彼はその後ドイツに戻ることはなく、
オランダ・ユトレヒト州にある屋敷で家族や侍従に囲まれて過ごし、
第二次世界大戦の最中、1941年6月に亡くなりました。
ユトレヒトはオランダの中央部にある州。
ユトレヒト州には33の基礎自治体(Gemeenteヘメーンテ)があり、
そのうちドールン(Doorn)とアメロンゲン(Amerongen)に
ヴィルヘルム2世が亡命後住んでいた屋敷があります。
A19 地球の歩き方 オランダ ベルギー ルクセンブルク 2016~2017
日本からは関空と成田からオランダ・スキポール空港へ直行便が出ています。
スキポール空港からドールンまでは所要時間1時間強ほどです。
オランダの交通機関の切符は全て
OVチップカードというICカードで兼ねられているのですが、
2、3日程度の滞在ならそれを買わずに普通の切符を買った方がお手軽です。
アムステルダム駅とスキポール空港駅でなら券売機でクレジットカードが使えます
(他の駅では硬貨しか使えない模様)。
スキポール空港は鉄道駅に直接繋がっており、交通の便がとても良いです。
主要都市間を走っているInterCityという快速列車の
ナイメーヘン(Nijmegen)行きに乗り、
ドリーベルゲン(Driebergen-Zeist)駅へ向かいます。
途中ユトレヒト中央駅を通過するので、
カイザー最期の地を訪れるのと同時に
ミッフィー生誕の地を楽しむのもいいかもしれませんね。
オランダ鉄道の公式サイトでルート検索ができます。
(英語に切り替え可能)
Driebergen-Zeist駅で下車したらバスに乗ります。
50番か56番のバスに乗り、15分ほど走れば
Huis Doorn(ドールン城)のバス亭に到着です!
バスでは、乗車時に直接運転手から切符を買うことができます。
○○までの切符が欲しいと言えば薄い紙の切符を売ってくれます。
オランダはまず間違いなく英語が通じるし、
私のガバガバイングリッシュでも通じたので恐れないで欲しい。
カイザー関連の史跡のガイドさんだとドイツ語も通じました。
56番のバスに乗った場合、
降りるバス亭はDoorn,CentrumではなくHuis Doornです!
こっちの方が入場チケット売り場(ミュージアムショップ併設)に近いです。
50番のバスに乗った場合Huis Doornに停車しないので
Doorn,Centrumで下車になりますが、少しチケットセンターから遠いです。
Centrumで下車した場合、
モダンな建物(調べたところ銀行だそうです)の横を通り過ぎ、
古めかしい門をくぐると、レンガに囲まれたドールン城の庭に入ります。
(人気がなさすぎて最初わからなかった)
少し歩くと右手にドールン城が見えるのですが、
チケット売り場は反対側にある守衛詰め所にあるので注意です。
私はそれを知らずに直接城へ向かってしまいました……
(ありがたいことにその場でチケット代を払うことで入場させて頂けたのですが)
Centrumで降りたら、ぐるっと庭の外の道路を回って
チケット売り場へ行った方がいいですね。
ここがドールン敷地内への正面入り口。奥にドールン城が見えている。
手前のレンガの建物 はチケット売り場兼ミュージアムショップ。
③ドールン城について
1920年に、同じくユトレヒトにあるアメロンゲン城から移動した後、
1941年に亡くなるまでずっとカイザーが住んでいたお屋敷です。
庭には厳めしい表情をしたカイザーの胸像、カイザーの霊廟、
愛犬たちのお墓があります。
通常は解説ツアーの形でしか屋敷内部を見学できないのですが、
第1・第3日曜日だけは自由に城内を回ることができます。
なので第3日曜を狙って行きました。
もう全てがカイザーです。
カイザーに関する解説、装飾品、勲章、軍装、お風呂、バスローブがあります。
(ただ、軍装に関しては所蔵しているもののほんの一部しか展示はしてありません)
私が行ったときは軍服ではなくセーターが置いてあって可愛かったです。
ドイツ国内でこんなにヴィルヘルム2世を全面に出した宮殿はありませんから、
カイザーファンにとっては夢のようなところでした。
左手を使うことのできないカイザーのために作られた、
ナイフとフォークが合体した食器具なんかも展示されています。
皇后アウグステ・ヴィクリアの寝室や二人目の后ヘルミーネのサロンなど、
カイザーの配偶者についての展示もたっぷりあります。
カイザーが鳩にエサをやっている写真でよく見る、ドールン城の正面階段。
ゲーリングがここから降りて行く写真もありますよね。
鳥にエサをやるカイザー:
File:Bundesarchiv Bild 102-11797, Doorn, Wilhelm II. beim Entenfüttern.jpg - Wikimedia Commons
ドールン城は内部撮影禁止なのですが、
そのぶん公式サイトで室内が360°見渡せるようになっているのでお勧めです。
壁に飾られた絵画の解説もついており便利。
Museum Huis Doorn公式サイト(オランダ語・ドイツ語・英語に対応)
上記のサイトで開館情報がチェックできますが、
月曜と火曜は閉館しているので旅行の計画を立てる際は注意。
開館時間は平日が13時~17時、土日が12時~17時です。
大人の入場料は12€。
カイザーのモノグラムが入ったグッズや
カイザーに関連する書籍が売られているミュージアムショップもありますし、
オランダとWW1について展示されたパビリオン(屋敷とのコンビチケットも有)
もあるので、いろいろ楽しめます。
冒頭で書いたように、1920年にドールンへ引っ越す前のカイザーは
すぐ近くのアメロンゲン城に住んでいました。
公式サイト: Kasteel Amerongen, Het Kasteel
こちらもドールンと同じくDriebergen-Zeist駅から50番のバスに乗り、
Amerongen, Dorpというバス亭で下車します。
バス亭から少し歩くので地図上で位置をしっかり確認しておいたほうがいいですね。
(道路と住宅街以外に何もない感じの場所にあるバス亭だったので、
私は彷徨いながらなんとか城に着きました)
一度フランスによる侵略戦争で1673年に破壊されましたが、建て直され、
現在の形になりました。
ベンティンク伯爵の所有であったこの城に、カイザーは
1918年から1920年まで「賓客」という形で滞在しています。
後にベンティンク伯爵の子孫がこの城を売却し、
1982年からはStiftung "Kasteel Amerongen"(アメロンゲン城財団)が所有しています。
カイザーの書斎机!
この城は財団のプロジェクトによってピアノ演奏があったり
当時の衣装を着たパフォーマー?のような人がいたり、
知名度や規模はドールン以下のはずなのになんとなく賑やかでした。
こっちは写真撮影可だったのでいろいろ撮れて楽しかったです。
入場料はドールン城と同じく12€です。
入場すると、間取りと各部屋の解説が入ったボードを貸してもらえます。
ドールンはスキポール空港からもアクセスしやすいですし、
主要都市ユトレヒトの近くなので、(ヨーロッパに行くお金と時間さえ確保できれば)
そこまで難易度は高くないかなと思いました。
ぜひカイザーファンの皆さんに訪問していただきたい場所です。
少しでもご旅行の参考になれば幸いです。
(2014年末の冬コミで出した旅行レポの一部を加筆・訂正して記事にしています)
Twitterでタイムラインを眺めていると、ときたま
元ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はドイツの勝利に有頂天となり、
ヒトラーに祝電を送るが無視される。」
というエピソードを目にします。
ヴィルヘルム2世「ワイらが倒せなかったフランスをあっさり倒すなんて第三帝国最高や!」
— なんJで学ぶ第二次世界大戦 (@nanJ_taisen) 2017年2月21日
なおヒトラーにフル無視された模様
こんな風に「世界史面白ネタ」として人口に膾炙してるみたいです。
果たしてこの話は本当なのか?という検証から広げて、
ナチ時代の王族たち(ホーエンツォレルン家)について書きたいと思います。
まず、ヴィルヘルム2世がヒトラーに祝電を送ったというのは事実なのか。
これは、皇帝の侍従武官ジーグルト・フォン・イルゼマン(1884-1952)の回想録に引用があります。
また、ドイツの連邦公文書館にも保管されています。
von Ilsemann"Der Kaiser in Holland Monarch und Nationalsozialismus 1924-1941"
345ページより
「1940年6月17日
フランス陥落に深い感銘を受けながら、かのヴィルヘルム大帝の言葉で以って、
私は貴殿とドイツ国防軍全兵士に対し、神から贈られた偉大な勝利を祝する。
『神の摂理によって何たる転機が訪れたことか。』
全てのドイツ人の心にはロイテンの勝利者にして、かの偉大な王を歌った賛美歌が響いている。
皆がただ神に感謝するように。
皇帝にして国王 ヴィルヘルム」
(※ヴィルヘルム大帝=ヴィルヘルム2世の祖父、ヴィルヘルム1世のこと。
※ロイテンの勝利者=プロイセン王フリードリヒ2世のこと。)
文中で引用されている
『神の摂理によって何たる転機が訪れたことか。』
という文章は、普仏戦争・セダンの戦いの折にヴィルヘルム1世が残した言葉です。
ヴィルヘルム2世は自分の祖父ヴィルヘルム1世のことを大変尊敬していましたから、
その祖父の言葉やフリードリヒ大王まで引き合いに出されたこの祝電は、
皇帝としてかなり「大盤振る舞い」な内容だと言えると思います。
ちなみに、ヒトラーに電報を送ることについては、
皇帝の後妻ヘルミーネ・ロイス・ツー・グライツの進言がかなり影響を持っていたようです。
彼女は戦間期にも国内の右派と繋がりを持っており、
ゲーリングが皇帝の亡命地ドールンを訪れたのも、彼女の誘いによるものです。
ありました。
あっさりとイルゼマンの回想録に載っています。はい!検証終わり!
ジョン・レールによるカイザーの伝記の出典一覧によれば、
(Bundesarchiv - Abteilung Militärarchiv (Abt. MA))に
マッケンゼン元帥の関連文書として保管されています。
(Nachlass Mackensen N39/39
Kaiser Wilhelm II.: Bd. 1 - Deutsche Digitale Bibliothek )
上記引用同ページより
「1940年6月25日
フランスの降伏に際して、ドイツ国防軍と私とに
個人的なお祝いの言葉を頂いたことに感謝いたします。
私はこの勝利がまもなく、ドイツ民族の更なる発展の可能性を
皇帝が送った電報に比べるとずいぶんあっさりした文章です。
でもヒトラーは皇帝を無視していません。
以下、ヴィルヘルム2世研究の大家ジョン・レールの著作を引用しながら
補足していきましょう。
Wilhelm II: Der Weg in den Abgrund 1900 - 1941
”Wilhelm II:Der Weg in den Abgrund 1900-1941" 1319ページより、
ドイツの電撃戦が始まり、各国への侵攻が進むと、
ヒトラーは皇帝に対して 「非常に美しく、厳かな文体で」
ドイツ国内における滞在場所を選ぶように提案したそうです。
ヴィルヘルム2世はその誘いを感謝しつつ断りましたが、
皇帝の二人目の后ヘルミーネは次のような言葉を残しています。
「私は言わなくてはならないけれど、
1918年以来、今の寛大な総統ほどに、
ヴィルヘルムを重要なドイツの人物として扱ったものはいなかった。」
「ヒトラーは皇帝を軽蔑しており、実際そのような態度を取っていた」
というような解釈(物語)を往々にして目にするのですが、
ヒトラーが個人的に皇帝を軽蔑しているのと、
「前体制のトップであるドイツ皇帝を形式の上だけでも重んじる」
のはまったく別のことです。
ホーエンツォレルン家とNSDAPの関わりについて、
事例をいくつか見てみましょう。
1.皇帝の四男アウグスト・ヴィルヘルムはSAに入隊しています。
(彼は皇帝の息子6人の中で、唯一NSDAPに入党した男子です。)
少なくとも1933年にナチが政権を獲得するまで、
彼はヒトラーの行くところ全てに同伴を許される
「特別扱い」を受けていました。
2.ヴィルヘルム2世の孫(皇太子ヴィルヘルムの長男)は第二次世界大戦中、
フランスで戦死しています。
彼は貴賎結婚をしたことにより、ホーエンツォレルン家の家長を継ぐ権利は
放棄していましたが、
それでもドイツ国内の王党派にとっては大きな衝撃であり、
ポツダムで彼を悼む集会が開かれました。
これはナチ党主宰ではない集会としてはヒトラー統治下で最大のもので、
王族に人気が集まるのを恐れたヒトラーは、
これ以降王族には徴兵を免除するPrinzenerlassという制度を作り上げます。
これらの事例から、
「帝政復古を阻止するために、ナチスは前体制をうやうやしく扱った」
という側面も見えるのではないでしょうか。
ナチスについて(趣味の範囲で)考えるとき、どうしても
「ドイツに突如現れた不気味なもの」
「極端な思想・言動」
というイメージが先行しがちです。
それゆえ
「ナチスなら慣習も無視して歯に衣着せぬ態度を取る」
=皇帝の電報も無視する というイメージが広まったのかな…と思いました。
しかし、ナチスは現実として(暴力的な手段を併用しながら)政権を奪取し、
1933年から1945年に渡ってドイツを動かし続けた訳ですから、
もちろんその中で「廃帝・王党派をどう扱うか」という課題にも
直面したはずです。
そういう細かい政治過程っていうか……そういうのが……
個人的には面白いと思ってるんで……
みんなイメージだけでガバガバなエピソードを語らずに
文献に当たってくれよなと思いました。閉廷!
最後に
Wilhelm II: Into the Abyss of War and Exile, 1900?1941
上で紹介した本の英訳がこちらです。
Kindleもあるので鈍器みたいな本を持ち歩かずにすむぞ!