Twitterでタイムラインを眺めていると、ときたま
元ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はドイツの勝利に有頂天となり、
ヒトラーに祝電を送るが無視される。」
というエピソードを目にします。
ヴィルヘルム2世「ワイらが倒せなかったフランスをあっさり倒すなんて第三帝国最高や!」
— なんJで学ぶ第二次世界大戦 (@nanJ_taisen) 2017年2月21日
なおヒトラーにフル無視された模様
こんな風に「世界史面白ネタ」として人口に膾炙してるみたいです。
果たしてこの話は本当なのか?という検証から広げて、
ナチ時代の王族たち(ホーエンツォレルン家)について書きたいと思います。
①そもそもヴィルヘルム2世の送った祝電とは
まず、ヴィルヘルム2世がヒトラーに祝電を送ったというのは事実なのか。
これは、皇帝の侍従武官ジーグルト・フォン・イルゼマン(1884-1952)の回想録に引用があります。
また、ドイツの連邦公文書館にも保管されています。
von Ilsemann"Der Kaiser in Holland Monarch und Nationalsozialismus 1924-1941"
345ページより
「1940年6月17日
フランス陥落に深い感銘を受けながら、かのヴィルヘルム大帝の言葉で以って、
私は貴殿とドイツ国防軍全兵士に対し、神から贈られた偉大な勝利を祝する。
『神の摂理によって何たる転機が訪れたことか。』
全てのドイツ人の心にはロイテンの勝利者にして、かの偉大な王を歌った賛美歌が響いている。
皆がただ神に感謝するように。
皇帝にして国王 ヴィルヘルム」
(※ヴィルヘルム大帝=ヴィルヘルム2世の祖父、ヴィルヘルム1世のこと。
※ロイテンの勝利者=プロイセン王フリードリヒ2世のこと。)
文中で引用されている
『神の摂理によって何たる転機が訪れたことか。』
という文章は、普仏戦争・セダンの戦いの折にヴィルヘルム1世が残した言葉です。
ヴィルヘルム2世は自分の祖父ヴィルヘルム1世のことを大変尊敬していましたから、
その祖父の言葉やフリードリヒ大王まで引き合いに出されたこの祝電は、
皇帝としてかなり「大盤振る舞い」な内容だと言えると思います。
ちなみに、ヒトラーに電報を送ることについては、
皇帝の後妻ヘルミーネ・ロイス・ツー・グライツの進言がかなり影響を持っていたようです。
彼女は戦間期にも国内の右派と繋がりを持っており、
ゲーリングが皇帝の亡命地ドールンを訪れたのも、彼女の誘いによるものです。
②ヒトラーからの返信はなかったのか
ありました。
あっさりとイルゼマンの回想録に載っています。はい!検証終わり!
ジョン・レールによるカイザーの伝記の出典一覧によれば、
(Bundesarchiv - Abteilung Militärarchiv (Abt. MA))に
マッケンゼン元帥の関連文書として保管されています。
(Nachlass Mackensen N39/39
Kaiser Wilhelm II.: Bd. 1 - Deutsche Digitale Bibliothek )
上記引用同ページより
「1940年6月25日
フランスの降伏に際して、ドイツ国防軍と私とに
個人的なお祝いの言葉を頂いたことに感謝いたします。
私はこの勝利がまもなく、ドイツ民族の更なる発展の可能性を
皇帝が送った電報に比べるとずいぶんあっさりした文章です。
でもヒトラーは皇帝を無視していません。
③そもそも、ヒトラーと皇帝の間にはそれ以外にも交流があった
以下、ヴィルヘルム2世研究の大家ジョン・レールの著作を引用しながら
補足していきましょう。
Wilhelm II: Der Weg in den Abgrund 1900 - 1941
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”Wilhelm II:Der Weg in den Abgrund 1900-1941" 1319ページより、
ドイツの電撃戦が始まり、各国への侵攻が進むと、
ヒトラーは皇帝に対して 「非常に美しく、厳かな文体で」
ドイツ国内における滞在場所を選ぶように提案したそうです。
ヴィルヘルム2世はその誘いを感謝しつつ断りましたが、
皇帝の二人目の后ヘルミーネは次のような言葉を残しています。
「私は言わなくてはならないけれど、
1918年以来、今の寛大な総統ほどに、
ヴィルヘルムを重要なドイツの人物として扱ったものはいなかった。」
「ヒトラーは皇帝を軽蔑しており、実際そのような態度を取っていた」
というような解釈(物語)を往々にして目にするのですが、
ヒトラーが個人的に皇帝を軽蔑しているのと、
「前体制のトップであるドイツ皇帝を形式の上だけでも重んじる」
のはまったく別のことです。
④おまけ
ホーエンツォレルン家とNSDAPの関わりについて、
事例をいくつか見てみましょう。
1.皇帝の四男アウグスト・ヴィルヘルムはSAに入隊しています。
(彼は皇帝の息子6人の中で、唯一NSDAPに入党した男子です。)
少なくとも1933年にナチが政権を獲得するまで、
彼はヒトラーの行くところ全てに同伴を許される
「特別扱い」を受けていました。
2.ヴィルヘルム2世の孫(皇太子ヴィルヘルムの長男)は第二次世界大戦中、
フランスで戦死しています。
彼は貴賎結婚をしたことにより、ホーエンツォレルン家の家長を継ぐ権利は
放棄していましたが、
それでもドイツ国内の王党派にとっては大きな衝撃であり、
ポツダムで彼を悼む集会が開かれました。
これはナチ党主宰ではない集会としてはヒトラー統治下で最大のもので、
王族に人気が集まるのを恐れたヒトラーは、
これ以降王族には徴兵を免除するPrinzenerlassという制度を作り上げます。
これらの事例から、
「帝政復古を阻止するために、ナチスは前体制をうやうやしく扱った」
という側面も見えるのではないでしょうか。
⑤最後に自分の感想
ナチスについて(趣味の範囲で)考えるとき、どうしても
「ドイツに突如現れた不気味なもの」
「極端な思想・言動」
というイメージが先行しがちです。
それゆえ
「ナチスなら慣習も無視して歯に衣着せぬ態度を取る」
=皇帝の電報も無視する というイメージが広まったのかな…と思いました。
しかし、ナチスは現実として(暴力的な手段を併用しながら)政権を奪取し、
1933年から1945年に渡ってドイツを動かし続けた訳ですから、
もちろんその中で「廃帝・王党派をどう扱うか」という課題にも
直面したはずです。
そういう細かい政治過程っていうか……そういうのが……
個人的には面白いと思ってるんで……
みんなイメージだけでガバガバなエピソードを語らずに
文献に当たってくれよなと思いました。閉廷!
最後に
Wilhelm II: Into the Abyss of War and Exile, 1900?1941
- 作者: John C. G. Röhl
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Kindleもあるので鈍器みたいな本を持ち歩かずにすむぞ!