Ex-Berliner

日記とかドイツ史とか

『エリザベートと私』『エリザベート1878』感想

 

  • はじめに

特集 ザンドラ・ヒュラー 変幻する〈わたし〉のかたち
https://www.goethe.de/ins/jp/ja/kul/nlk/san.html

 

ゲーテ・インスティトゥート主催の、独女優ザンドラ・ヒュラー主演映画上映イベントの中の一つ、『エリザベートと私』を観てきました。

原題はSisi und ich、独2023年公開。日本では今回が初公開とのこと。

他にもアカデミー賞を受賞して日本でも話題になった『関心領域』、東ドイツ通貨統一をテーマにした『二対一』などなど、気になる映画ばかりだったのですが、なにぶん働きながら1歳児を育てているタイミングなので、ミュージカルElisabethからヨーロッパ近代史に強く関心を抱くようになったオタクとして『エリザベートと私』に絞って観に行きました。

(『関心領域』は配信でも観られるし、近いうちに観たいなとは思っているのですが……。『エルサレムアイヒマン』も『エルサレム〈以前〉のアイヒマン』も恥ずかしながら未だ通読したことがありませんが……はい。インターネットを辞めて本を読みます。)

 

上映場所は、恵比寿ガーデンシネマという初めて行く映画館でした。恵比寿駅で降りること自体が多分人生で初めてだったんですが、このエリア一帯がテーマパークのようになってて、再開発再開発資本資本資本金金金みたいな雰囲気で、綺麗だけどちょっと怖かった。

ゲーテ企画の映画を上映するくらいなので(失礼)小さなシアターかと思ったら、結構大きめのスクリーンだったのでびっくりしました。

 

少し脱線しますが、世紀転換期を扱った映画の情報に疎くなっており、2022年頃からいわゆる「シシィもの」の作品が複数作られているというのも『エリザベートと私』の上映をきっかけに知りました。2022年の映画『エリザベート1878』(原題Corsage)、Netflixのドラマシリーズ『エリザベート』など。

エリザベート1878』なんて日本の大手シネコンでも上映されてたのに全く知らなかったよ……。これはどう考えてもミュージカル『エリザベート』の人気があってのことだと思うので、宝塚でブーストされたオーストリアソフトパワーってすごいと思いました。ドイツの世紀転換期ものがイオンで上映されるとは思えない(してくれたらめちゃくちゃ嬉しいけど)。

 

エリザベート1878』については、公開時期の近さとコンセプトの類似もあってか『エリザベートと私』との比較レビューをよく見かけるので、 近いうち観たいと思っています……とちまちま書いているうちに、Amazon primeでの配信があったので観てしまいました。

という訳で、この記事では2本の映画を比較しつつ、感想を書いていきたいと思います。

結末に関するネタバレもありますので、お気をつけください。

 

ネタバレ無しの感想をまず最初に書いておくと、江村洋先生の本等を読んでフランツ・ヨーゼフになんとなく好感を持っている人は絶対に『エリザベートと私』より『エリザベート1878』を観た方がいいです!!!!!

この2作品、共通点は色々あるのですが、フランツ・ヨーゼフの描き方が決定的に違います。『エリザベートと私』はとにかくフランツ・ヨーゼフを神格化したくない、悲劇の皇帝として描きたくない、しょうもない男として描いてやるという思いがひしひしと伝わってきます。

 

 

19世紀末。結婚も修道院も拒んだハンガリーの伯爵令嬢イルマは、母に命じられ、孤独に暮らすオーストリア皇后エリザベート(シシィ)の侍女となる。ギリシャ・コルフ島の女性だけの館で、風変わりな皇后に振り回されながらも、イルマはやがて彼女に心を奪われていく。装いも暮らしも皇后に合わせ、共に旅を重ねるうちに、ふたりの関係は歪んだ共依存へと変化する――

 

ゲーテのHPから引用させていただきました。このあらすじを読んだだけではホラーなのか何なのかよくわかりませんでしたが、俗っぽい言い方をすると、皇后のカリスマに翻弄される女官イルマと、奔放な自分についてきてくれる女官の存在が嬉しい皇后エリザベートとの主従百合(バッドエンド)です。

 

世間の普遍的幸福を拒否した末にエリザベートの侍女となることを強制されたイルマが、常識を無視してコルフ島で自由に生きているシシィに惹かれ、自信を取り戻し、それゆえ皇后への執着と皇后の周りの男たちへの嫉妬を覚え、今度は自分が皇后を縛り付ける側に回ってしまう……という、ヒューマンドラマのようなシニカルなコメディのようなお話でした。

同性愛の話でもあり、母親に支配される娘同士の連帯の話でもあり、結婚(生活)を拒否した女同士の連帯の話でもあり……。

シスターフッドという言葉を聞くと鼻白むタイプのひねくれ女オタクなのですが、この物語におけるシシィとイルマの関係をシスターフッドと呼ぶなら、それは良いかもなと思った。

 

ただ、「シシィは19世紀の王族でありながら21世紀の進歩的な考えを持っていたんですよー!」という描写をやりたいばっかりに、シシィが「子供を持つ事」を腐すのは、シシィの言動としてはちょっと違和感あるかな?と思いました。『エリザベート1878』はその辺りのバランスが上手かったなと思います。

上でも少し書きましたが、イルマとシシィに「母親に支配される娘」としての共通項を見出すために唐突にルドヴィカ(シシィの母親)を悪役として登場させた感じもあって、史実のルドヴィカにそんな印象が全くないので、ここらへんは創作が強めに出ているなあと思いました。

といっても私もシシィに関してはブリギッテ・ハーマンの伝記とハプスブルクの通史を何冊か読んだくらいなので、実は近年の研究結果を取り入れているとかだったらすみません。

 

ゲロを吐くシーンや出血するシーンが多くて、とにかく悪趣味に!王族・貴族を綺麗にかっこよく描くのはやりたくありません!ファック、ロミー・シュナイダー!という強い意志が伝わってきました。

それの頂点ともなっているのがこの映画におけるフランツ・ヨーゼフで、悲しいくらいに良いところがないです。メンツを気にして妻を理解しようとしない皇帝、妻に相手にされず営みを力づくで強制する皇帝、ヒマシ油を知らずに飲まされて下痢でトイレに籠る皇帝(排泄音がまあまあくどい。このシーン凄く長く感じました)。

 

軍服はよくわかりませんが、ドレスについては明らかに劇中より後の時代の意匠のものを着ているシーンがちょくちょくあったのと、謎の小さい丸テーブルでの晩餐シーンも含めて、舞台っぽい演出のある映画だなと思いました。

 

この映画で主役のイルマ、シシィの次にメインキャラクターとして出てくるのがルートヴィヒ・ヴィクトル大公(フランツ・ヨーゼフの弟)なのですが、この人をシシィ主人公の創作物でメインに抜擢するのが新鮮すぎてそれだけで拍手したくなってしまいました(採点甘すぎオタク)

率直に言うと、マジカル・ニグロならぬマジカル・ゲイみたいな役回りなのですが、ラスト近くでヴィクトルがエリザベートに奇妙なくらい濃い化粧を施して、老いたエリザベートに生きる意志を取り戻してあげるシーンは涙腺が緩くなってしまいました。

周りからはハリボテにしか見えなくても、それが当人にとって強い力を持つシーンに私は弱い。

ルートヴィヒ・ヴィクトルがコルフ島にやってきて、下品な芝居をしたりシシィにタトゥーを入れたりと大暴れした後に、軍服をきっちり着て島を去っていくというのも、画としてすごく気持ちよかった。

あと、シシィの侍従として両性具有的な美形のフリッツィとマリーというキャラクターが出てくるのですが、この2人がめっちゃアニメ漫画のキャラっぽくて、オタクとしては良かったです。

それと、これは本当に個人的な感覚の話になるんですが、シシィ役のSusanne Wolffが、私がフィクションのシシィに求めている「男前かっこいい系美人」の顔だったのも良かった。この顔で人を馬鹿にしたり急に遠乗りしたり海に飛び込んだりするのは素敵でした。

 

観てしばらくしてから思い返してみると、演出の過激さに反して、訴えたいことがわかりやすい映画だったかなあという感想です。ラストシーンの唐突さ、「そこを歴史改変してくるの!?」という部分はなかなか私好みでした。

 

しかし、シシィを先進的な振る舞いの女性として描けば描くほど、それはシシィの守旧的な王家という特権無しにはできないことで……という矛盾が頭をよぎり、やっぱりこの人を主題にフェミニズムの話をするの限界があるなという気持ちになりました。

 

映画の内容に全く関係ない話なのですが、コルフ島でシシィの身の回りの世話をする唯一の男性であるベルツェヴィツィ伯爵役の俳優がめちゃくちゃシュペーア顔(シュペーアを演じてそうな顔の意)で、絶対この俳優シュペーアやってた事ある!!!と思って調べたら、やっぱり『我が教え子、ヒトラー』でシュペーアを演じていて満足しました。

 

ハプスブルク帝国が最後の輝きを放っていた19世紀末、「シシィ」の愛称で親しまれ、ヨーロッパ宮廷一の美貌と謳われたオーストリア皇妃エリザベート。1877年のクリスマス・イヴに40歳の誕生日を迎えた彼女は、コルセットをきつく締め、世間のイメージを維持するために奮闘するも、厳格で形式的な公務にますます窮屈さを覚えていく。人生に対する情熱や知識への渇望、若き日々のような刺激を求めて、イングランドバイエルンを旅し、かつての恋人や古い友人を訪ねる中、誇張された自身のイメージに反抗し、プライドを取り戻すために思いついたある計画とは——。

https://transformer.co.jp/m/corsage/aboutthemovie.html

 

あらすじは日本版公式ホームページから引用しました。今ホームページを改めて確認したら、著名人からの推薦文として「美のイコンとして有名なシシィのイメージを取り払い自由と反逆の精神云々」という内容が多かったんですが、日本だとミュージカルから入る人が大半なので、「シシィ=当時の常識を破壊する自由奔放な皇后」の図式を持っている観客の方がマジョリティな気がする。

 

こちらはかなりわかりやすい映画で、1878年のシシィを丁寧に淡々と追っていくストーリーです。ラストシーンを除いたら、いかにも創作なのはルイ・ル・プランス(映画を発明したフランス人)とシシィに親交があったとしている部分と、シシィとフランツ・ヨーゼフが密かにトレーニングとして?フェンシングをしているあたりでしょうか。

衣装や背景も、『エリザベートと私』に比べると史実らしいテイストなんですが、時代に合っていない(現代の)曲を劇伴として流すという演出は被っていて、ちょっと笑ってしまいました。とはいえ、『エリザベート1878』は『エリザベートと私』に比べたらアナクロニズム少なめ、過剰な演出少なめなので、久々に世紀転換期にゆったり浸れる映画を見たな〜、という満足感がありました。

 

「シシィに理解のある同性愛者」が出てくるというのも一緒で、『エリザベートと私』ではそのポジションにルートヴィヒ・ヴィクトル大公が当てられていましたが、『エリザベート1878』だとそれはルートヴィヒ2世になっています。

1878年を描いた映画なので、勿論ルドルフもまだ生きており、末娘のヴァレリーも重要なポジションで登場します。ちなみに『エリザベートと私』ではルドルフは既に亡くなっており、他の子どもたちも一切出てきません。

エリザベートと私』ではシシィが「子育て」「生殖」から解放された、あるいはそれを放棄した「新しい女」として描かれているのでそうなるのだと思います。『エリザベート1878』はもうちょっと地に足が着いていて、シシィはまだ「良き母」であろうとすることに未練があるんですよね。それがあのラストシーンに繋がるんだと思っています。

 

同じく2020年代に作られて、両方ともフェミニズムを意識して作られた映画で、かなり似た部分もあるのに、「シシィの性欲」について真逆の描き方をしているのが面白いなと思いました。扱う年代の違いもありますが、映画が描こうとしているエリザベート像の違いが端的に表れていると思います。

40歳のシシィを描いている『エリザベート1878』ではフランツ・ヨーゼフとの行為を求めて夫の横でマスターベーションをするシシィ(!)のシーンがあり、『エリザベートと私』では(明確に年代は示されていませんがアキレイオン完成以降の話なので)50代半ばのシシィがほぼレイプに近い行為を夫に強いられる。

エリザベート1878』はリアルな40代女性の足掻き、『エリザベートと私』は奔放でフィクション的なカリスマの苦しみに肉薄している。

 

衣装や背景が同時に忠実だからこそ、ラストシーンにはあっけに取られました。そこで急に歴史ifになるのかと。

このオチなら、入れ替わった女官のことをもうちょっと時間割いて描いといてくれてもいいのに……と思いましたが、そうなると映画のテーマが変わってくるので難しいよね。

エリザベートと私』が常にボールが跳ね回るように翻弄される映画だとしたら、『エリザベート1878』はずっと緩やかに走っていたタクシーが最後で急にハンドル切って崖から落ちたみたいな感じです。

 

  • まとめ

自分が描きたいタイプの歴史創作がどっちかって言われると『エリザベートと私』かもと思いました。でも歴史好きな人ほど『エリザベートと私』には難色示しそう、というのもわかる。

そしてここまで書いてきて一つ反省することがあるのですが、私、実はロミー・シュナイダー主演の『プリンセス・シシー』を未だに見たことがございません。配信無し!中古DVD、高騰!!!いつか……見ます!!!